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H: 驚いた。いつも通っている宮益坂にこんな場所があるとは... 狭いのに月世界って感じのホーリーさを醸し出してる。多分、コンクリートのビルの谷間に、きれいな御影石と砂利という無機質な素材で作られていてるのがそんな異次元空間を作っているんだろうね。しかも、鳥居と本殿だけはしっかりと木で作られていてそれがまた渋い... 本殿に至る結構長い石段も奇麗で、僕たちが参拝したときには5〜6名のOLがお昼を食べていた。一歩進んでお参りしてくれたらいいのに。
R: 私もここはなんだかすっきりしている神社だと思う。材質もそうかもしれないけど、「ちゃんと祀られている」といった印象がこころを清清しくさせんだと思う。真っ直ぐなこころでしっかりと祀られている神社はそれだけでいい気を発しているよ。だから神社を守るのはそこにお参りする私達人間次第ともいえる。
H: この御嶽神社を始め「御嶽系」の神社は基本的に大和朝廷のヒーロー日本武尊を祭っっている。大和朝廷のヒーローは被支配民=夷(えびす)にとっては逆にいやな奴なわけで、ここに御嶽神社を祭るのは近畿の大和朝廷がこの地に睨みを利かすために建てたんじゃないか、とか思ってしまうけど...
R: 実際、明治の大政奉還で武家の時代から天皇家の時代に変わった始めの天皇である明治天皇もここを参拝しているしね。でも、神道の体系は最早「体制側、反体制側」と割り切って考えようとすると逆に本質を見逃してしまう危険もある。例えば、御由緒書きによるとこの神社は、大和国吉野郡金峰神社の分祭社とのことだけど、吉野といえば修験者のメッカで事実、この御嶽神社の別当寺院は代々山岳密教系だったんだけど、修験道といえば体制・反体制を超越した日本の裏社会のトリックスターといったイメージがあるし、祭神として日本武尊とともに祀られている大国主は実は被支配者側のシンボルだったりもする。
H: 渋谷の神社を回ってみると、この「御嶽神社」を末社として祀っているところが多くて気になったんだけど、これも何だか怪しい理由がありそうだね...
★アクセス
- 渋谷区渋谷1丁目12−16
→宮益坂途中。ファーストキッチンの脇にある細長い石段をあがった上。★建立時期
- 室町時代初期(1400年)
★祭 神
- 日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
- 秋葉の神(アキバノカミ)
- 大国主神(オオクニヌシノカミ)
- 菅原の神(スガワラノカミ)
★合 祀
- 不動尊石像(俗称 炙り(あぶり)不動)
- 勢至菩薩石像