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渋谷04

 

隠田神社

Onden-jinja

 

★『伊賀忍者衆に愛された?、裏原宿の守護神』

H: ここは住宅地の中にある随分と細長い敷地の神社だね。なんか日本の都市化によって肩身がどんどん狭くなっていった神社の象徴みたい。日本の住宅地にはこういった神社が一杯あるけど、盛り上げてあげなきゃね、って感じがするよ。
R: でも、ここはいい神社だよ。2、3年前にここの夏祭りに来たことがあるけど、神楽殿で近所の人たちが楽しそうにカラオケ大会をしてた。神社でカラオケ大会?なんて始めは異様に思えたけど、考えてみれば地元の人たちと密着したそういった在り方こそ、実に今様な「神楽」そのものだとも思った。平成10年に社殿が建て替えられ、その神楽殿もなくなってちょっとショックだったけど、でも地元に密着した神社の在り方はまだ変わっていないようなのでなんだかホッとしました。
H: 江戸時代の地図をみると、ここは渋谷川に面して広がっていた百姓地の一角にあって、当時は「第六天社」と呼ばれていたらしい。神社自体は古くからあってこの一帯の産土として親しまれてきたようだけど、この神社が手厚く祀られるようになったのは家康が1509年に江戸に入って以降。本能寺の変に際して武功を立てた伊賀衆がこの地を賜って移り住んできた後らしい。伊賀衆といえば「忍者」。隠田(ヲンデン)という「隠れる」という字が入った地名もどことなくそれっぽい。一見なんの変哲も内容に見えて、実はかなり怪しい神社だったりして... だいたい、この辺り一帯は今「裏原宿」と呼ばれてるし、まさに「裏原宿の守護神」といっていい!
R: 今の「表参道」はもともと、明治神宮のものではなく、この隠田神社のものだったという話しも聞いたことあるし。原宿を押さえたいなら疎かにできない神社だと思う。ちなみに、第六天社というのは埼玉・千葉・神奈川・東京の関東に多い神社系列で(近くは恵比寿の恵比寿神社も第六天社)、千葉・茨城に多い千勝(近津・チカツ)神社と同じ淤母陀琉(おもたる)・訶志古泥(かしこね)の神を祭っているんだけど、この神様ももうちょっと深く追ってみたいね。
H: ???

 

★アクセス

 

★建立時期

 

★祭 神

 

★合 祀

 

 

参拝&取材:2000年6月2日(大安)

 

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