本庄の家は旧家だった。自分の背よりも高い垣根がぐるりと囲んでいる。
部屋は障子や襖で区切ってあって、境を開け放つと清々しいほど風が吹き抜ける。日本家屋のいい面影をとどめている。北海道で育ったわたしにその古い家は「人知れず」の存在を気付かせてくれた。
「人知れず」の存在は屡訪れる。大概は襖がすーっと開いてぺたぺた…という足音だけが近づいては離れ、近づいては離れるという繰り返しだった。
それ以外に妙なあらわれ方をしたことが二、三度あった。
★ ★ ★
大雪の日、本庄に来て、初めて発作がなかった日のこと。
祖母と一緒に「華屑」が描いたような美人画の塗り絵を買いにいく。
この頃はこうした塗り絵が流行っていた。塗り絵は時折きれいにはさみで切り取られ、紙人形、着せ替え人形としての機能ももっていた。如何に巧く色を塗るかということが子供同士の「才能」の見せ所だった。
この辺りで子供用雑貨を買いに行く、というと大抵は「籤や」さん、になる。
「くじや」は子供たちにとって、宝の宝庫だった。だから、「くじや」にいく、というと、心がはやったものだ。雪まみれではしゃぎながら轍に足をおく。一足一足、丁寧に歩く。折角、外に出られたのだからもったいない。少しでも外の空気を楽しもうと思った。
新しい雪はふわっと足を包み、古い雪はきゅっ、きゅっ、と擦れあうような音をたてる。雪の感触がたのしい。わくわくする。
轍には大人の藁靴のあとが沢山ついている。それがあっという間に再び新しい雪で埋もれて、寒さで固まった古い轍に足をとられる。
「あっ、またすべっちゃった!」
ただでさえ「ゆきまみれ」なのに、今度は「ゆきだるま」になろうという勢いだった。
きゃっ、きゃっ、はしゃぎながら、駆け回る。赤い頬を両手で覆いながら、
「ばあちゃん、冷たいね・・・」というと、
祖母は覆っていた毛糸で編んだショールをわたしに捲き付けるように、
「あんまりはしゃぐな。咳がでる。ほら、これであつくなったか?
まだ、さあみいか?」
とたしなめる。思いやりを強く感じる。
ようやく外に出られたわたしには寒さなど感じてはいなかった。
しまった、と思った。
「・・・ばあちゃん。大丈夫だよ。」
しかし、身体は大丈夫ではなかった。咳がではじめた。
のどがひゅるひゅるする。ひゅーひゅーする。
「ばあちゃん、」ひゅー、ひゅー、ゴホゴホ・・・。
話もできない。
「やっぱり、無理だなあ。明日、晴れれば明日にするがあ。」
いやだ。くじやさんにいきたい!
でも、声にならなかった。
引きずられるように家にもどった。
大きな、掛け軸のかけてある部屋だった。掛け軸には人の絵となにか文字がつらつらと書いてある。全体のバランスからかなり大きな「人物像」が描かれている。
ここには敷居がない。襖もない。大きなままの部屋だった。天井もすこぶる高い。視線の先には四角い枠がいっぱい並んでいる。
部屋の真中にはわたしが寝ている。発作は続く。苦しそうだ。部屋の外では遠く従姉妹たちの笑い声が聞こえる。咳がおさまってうとうとしてきた、そのときだった。
バタバタ足音がする。バタバタ・・・ぺたぺた、ぺた、少しづつ音が変化した。
そして、部屋の前でぴたっと止まる。
あれっ?だれだろ。顔を右に向け、目を凝らす。
障子の向こうにはおかっぱ頭の影がゆらいでいる。
「あんべえ、いいがあ?あとでみかん、もってくるからなあ。
明日、カマクラ、あんべえいがったら、つくるべえな。」
一番年の近い従姉だった。ほっ、とする。
この地方では年末年始に大きなカマクラをつくり、そこに水神さまをお祭りする。大人も子供もカマクラで来年の「ちから」を温存する。
あきらめ半分の声で返事をする。何しろ、本庄に来てから発作がない日が殆どないのだ。
「・・・また、遊んでね。」
弱弱しい声は従姉に響いたのだろうか?
「また、明日なあ。」というと、彼女の足音が遠のいていった。
殆ど誰もこない。客間は奥の、奥の部屋だった。
スコシ、ネムロウ。
日が翳り始めてきたせいか、辺りがおどろおどろしく感じる。
ひゅー、どろどろ、・・・おばけだぞう〜・・・、と掛け軸から人が出てきそうだ。
「お化け」はどうして名乗るのだろう?みればわかるのに。
掛け軸はみないようにしよう。すると、今度は日本人形が
「ふふふふ・・・」と笑い出しそうにこっちをみてる。
みんなこっちを見ている。いろんな「もの」がいる。この部屋には「もの」が寄ってくる。「もの」は恐がるわたしを楽しんでいるのか。
あんまり、見ないでえ・・・。
恐くて、恐くて、誰かにすがりたい。
でも、みんな年越しで忙しい。誰も来てはくれない。
ゴホゴホ・・・。発作が起きる。発作が起きると寝ても起きても苦しい。
誰かの手が背中に座布団を入れてくれている。頭を起こすようにしてもらった。
こうすると、少しおさまる。
「あれ、ばあちゃん、来てくれたの。ありがと・・・。ゴホゴホ」
「いいから、寝るべえ。」
背中を軽くなでてくれて楽になる。
スコシ、ネムロウ。
かたかた、屋根裏で音がする。
ダレダロウ?ネズミカナア?
傍らに祖母の寝息がきこえる。ちょっと、安心した。
ゆっくり目を開けた。天井をみつめる。
天井に手の跡が次々とついている。手で歩いているかのように。
手の跡は次第に増えていく。ぺた・・・、ぺた・・・、ぺたぺたぺた・・・。
蛙か何かのようだ。ほこりがとれて、痕がついているのだろうけど、水で痕がついているようだ。
姿はみえない。
アア、人知レズ・・・カア・・・
あれは、あんまり恐くない。どうしてかなあ。
すーっと、いつものように障子の開く気配がした。
「気配」のする方をみた。
赤い顔の女の子が覗いている。
誰?
「アソボ・・・」
赤い手がわたしを誘う。
「赤いおまんま、、、」
「赤いおまんま?お赤飯のことかな。食べたいの?」
赤い手の存在はわたしを誘う。
ついていく。不思議と苦しくはなかった。発作はおさまったようである。
どんどん、どんどん、手をひかれる。家のはじまでいった。行き止まりになった。女の子が突然くるりと振り返る。「ヨカッタネ」というような顔をしている。
妙なことに目も鼻も口も、パーツについての印象は全くなかった。
彼女はすーっとそのまま壁の中へ消えた。
あれ、遊ばないの?赤いおまんまは?
発作はこの日からおさまった。
祖母にわたしは「お赤飯」をねだり、その壁のところへ備えてもらった。
「赤い女の子」のことも話した。
「それは家の守り神様だよ。その子がいるからうちは続いているんだ。
まだ、いたんだねえ。」
祖母は空をみつめながら、
「ばあちゃんもそんな話昔あったべか。」
といった。不思議なことにわたしはこのとき60いくつの祖母が小さい女の子にみえた。祖母が「わらし」にしか見えない。
「わらし」は続ける。
「おかっぱ頭で赤けえつらしてたな。手も赤くて、なにがいってるんだべどもわからねえなあ。なにか、いいたかったんだべなあ。」
子供にしか見えない家につく「妖怪」だとか、「神様」だとか、と教えてくれた。
翌日、カマクラをつくった。
カマクラにはあちらこちらに「小さな子供」の手跡がしっかりとついていた。
わたしのよりも小さかった。垣根を越えて、従姉妹たちの声が聞こえる。
「みかん、たべねえがあ。」
「カルタ、して遊ばねえか。」
「やるべえ。」
「んだなあ。」
「・・・んだ、んだ。」
雪合戦する?籤やへ「塗り絵」買いにいく?
ずーっと、「赤い女の子」はわたしのそばにいた。
「いくべえ。いっしょにいかねえが。」
一緒に遊んでいた。
誰にもみえない、やさしい「存在」は「人知れずの存在」とも呼ばれていた。
本庄の冬越は「赤い顔の少女」のおかげで子供のころの一番いい思い出になった。
★ ★ ★
あれから30年、一昨年、祖母の家は無くなった。
本家が家族ごと仙台に移住したのである。
「赤い顔の女の子」は棲みかを失った。
わたしにはそのことが非常に気がかりである。
おしまい。