【葉 月】 〇満月 :8月 4日14時56分 (旧6/15)


『八月の蝉』

満月に、広島を思う...

いつも月は同じ顔で、あの日と同じ眼差しで、「そこ」にある・・・

昔の暦をみた。その暦には今月の満月は「8月6日」となっていた。
本当は8月4日だったのに。ずれた、ようだ。
今年はやけに「広島の原爆」に対面する。
それもずれて4日から見始めた。

いつもの年よりも「露出」している・・・のだろうか。
たまたま見てしまうのだろうか。

8月6日。広島に原爆が投下された日。

ぴかっ、と光ったあとにも蝉は啼き続けていた、
と誰かが言っていた。

命を振り絞り「泣き」続けていた、と。

わたしは戦争を知らない。その苦しみは祖母から聞いた。

ただ、聞いただけなのにまるで経験したかのように身体はその声に
反応する。
モウ、イヤダ。戦争ダケハ、絶対ニイヤダ・・・

広島の映像をみる。原爆ドームのきっかけになった一冊のノートのことを知る。

決して、忘れてはならない、ことなのだ。当時の人たちは早く忘れたがった。しかし、忘れないために「少女」の遺言はかたちとして遺った。

たった一人の少女の「言葉」が響き渡ったのだ。
あの日の蝉の鳴き声のように、鮮明に脳裏に焼きつけられたのだ。

★ ★ ★

 8月6日、今年も原爆ドームの前には大勢の人たちが訪れた。
小泉首相も訪れた・・・。

なにが違うのだろう・・・。
靖国に祀られているのはなにも戦犯だけではない、はずなのに。

なにが違うのだろう・・・。戦争を痛み、戦争で苦しんで死んでいった人々を弔うことに、なんの違いもないの、はずなのに。

先人たちの苦しみを知ることによって、過ちを知ることによって、我々は多くのことを学ぶ。その苦しみが強ければ強いほど、痛みが強ければ強いほど、計り知れない「記憶」がこころを突き上げる。 どれほど客観的に見ていようと思っても、気付くとその中に巻き込まれる。日本人の集団意識の中にいまだ「戦争」の傷跡は深く遺っている。

無意識に、無意識に。しかし、世代と共にその傷跡はその奥へ奥へと隠されてようとしているようにも思える。その代わりに「真実」ではない、別な「歴史」がその爪跡を覆い、取って代わってしまう。「不安」を感じることに「意味」はなくなってしまうのだろうか。

 今年、中々啼かなかった「蝉」の声がようやく響き渡るようになった・・・

日本の夏はまだ死んではいなかった・・・。
空には月が冴える・・・。

(by R)