内親王のご誕生にこの国のこころが震えている!?
12月1日は丁度満月でした。内親王のご誕生は日本中に活気を与えたように思われます。普段意識していない無意識な「日本人」としての行動が祭りのように各地で発せられました。
皇居に記帳を希望される方々の長蛇の列などを観ましても、なにかホッとします。不思議なものです。
比較するのもおかしなものですが、先のテロ事件があった後のアメリカの民族意識に比べてなんと安穏なことか。国民性の違いをみたような気がいたします。
この日は友人のクリスマスパーティが原美術館で行われ、美術館の庭にぽっかり浮いた月を見ておりました。勿論、内親王のご誕生はそれより以前でみな口々にそのおめでたい事実を語りながら、うっとりと月を眺めておりました。
なにかが吹き払われたようなそんな月の夜。緩やかに吹く風は予想外に冷たくきりっとし、それぞれの中も吹き払われたと同時になにかが生まれたような予感がいたします。
この国の「なにか」が動いたのです。
この日以降、妙な地震が続いております。単なる偶然の重なりとは思えないほど、各地で震度5に値する地震が起きています。
12/2の南部地震を皮切りに那須、横浜西部、新島、喜界が島へ渡り、丁度東北から鬼が攻めてくるように南西方向へ向けて。
最初気になったのは「古」という地名が随分出てきたことです。
「古川」、「古山」、「古島」・・・にように。
古いなにかを震わせるというエネルギーが感じられます。
岩手の南部地方はかつて鬼が南西から逃げのび、手をついた場所という言い伝えがあります。そのこもった鬼が再び南西に伸び、しかも「喜(鬼)界が島」に行き着いた。
単なることばの遊びでしょうか?
今年は「陰陽師」や「神隠し」が映画化され、西洋の魔法使いまでが現れた年ですから、
「鬼」との結界が破られたといったも過言ではないでしょう。
しかしながら、この鬼は我々の今棲んでいる世界を正常化してくれる「鬼」のような気がいたします。恐ろしいもの、畏れるもの、・・・を具現化してくれる、そのために「古き」心を蘇らせてくれる、そういった感があるのです。
地震の「古」はふる、即ち魂を震わせ、エネルギーを再生させてくれるものです。
しかも、これから季節はまさに「ふゆ」になります。
古い言葉で「御魂のふゆ」、ということばがありますがこれは新たなことに気づくための再生儀式のようなものです。魂を外側から震わせ、エネルギーを与え、新たな時代に備えるのです。
古とは即ち時間を経ることによって意味をもった「示唆」のようなものだと思えます。
雲ひとつない空に月がぽっかりと浮かんでおりました。
それぞれの意識にそれがどのように映ったのかは定かではありません。
しかしながら、こころの奥底にその「型」は吸い込まれるように刻み込まれたに違いありません。日本人の意識として。
そのことは様々な社会のウィルスに侵略された心のOSを再インストールするきっかけになったような気がいたします。
この時代にも「鬼」が必要だったのです。
だからこそ、現れたのです。
「鬼」のひとつの例はこの表紙の「なまはげ」です。
こどもたちに勇気を与え、生きる知恵を与える「なまはげ」です。
逃げていては先が見えません。
こどもには逃げることができません。
生きていくためには大人になるしかないのです。
大人はいつでも逃げることができます。
その方法は無限大です。
しかしながら、こどもにその方法はとても限られているのです。
ワタシハ大人ニナリ切レナイ大人ノ形ヲシタ子供ガ好キデス・・・
鬼ガミエル子供タチガ好キデス・・・
(by R)