沖縄竹富島から
竹富島は本当に楽園のような島だった。
石垣島から30〜40人乗りの小さな連絡船で約十分。
縦9キロ、横4キロ。
レンタルサイクルで小一時間もあれば一周できてしまう起伏のない珊瑚礁の島に来ると、
「人間にとって居心地よい世界」を作り上げるのに最適の大きさや世界を構成する要素が、
どうあるべきなのかを実感できる。
“箱庭的楽園” ・・・ふとそんなコトバが浮かぶ。
時として広すぎる家が落ち着かないように、大きすぎる自然は緊張を生むことがあるが、
この島の自然には何のストレスも感じない。。
海のブルーも、植物の茂り具合も、赤い瓦屋根も、絶妙に“いい感じ”で体にフィットするし、
加えて、島全体に肩の力の抜けたゆる〜い時間が流れていて、
私のようなぐうたら人間が「普通の人」として通用する、天国のように思われた。
☆
竹富島は、神々や精霊に守られた島でもある。
島には、いたるところにウタキ(御嶽、竹富島では“オン”と仮名をふっていた)がある。
ウタキは、巨樹や石など自然物をいわゆるご神体(“イビ”という)として祀っている沖縄特有の信仰の場所で、九州以北の神社に相当する。
でも神社と比べるとその構造はいたってシンプルで、
三方の壁に屋根を乗せた作りの簡単なコンクリの社であったり、
イビの前に石の台を置いただけのウガンジョ(拝み所)である場合も多い。
神社には社務所があるが、ウタキにはなにもない。
神社の神様には名前がつけられているが、ウタキにはなさそうである。(もしかしたらあるのかもしれないが)
ただ、鳥居だけは神社と同じく、ウタキの入り口に立っているのだが、これは何だか違和感がある。
(きっと鳥居は昭和以降に立てられたのだと思う...)
要するにウタキには、「ただ神様に向かって、坐って拝む。」という基本機能しかないのだ。
そのシンプルさが、この島と神々や精霊との親密さを証明している。
人間と神々を隔てる障害物は少ないほうがいい。
・・・ブレーキの効かないレンタルサイクルをこぎながら、そんなことを考えているとき、
あるウタキに出会った。
「世持御嶽(ゆーむち・おん)」
島の集落の中にある、種取祭が行われるウタキであった。
竹富島では、年に一度9月か10月に『種取祭(たなどぅーい)』というお祭りが行われる。
10日間かけて行われる島最大の祭りで
「みるく神(弥勒神)」という真っ白な顔の神様を誘い、
最後の数日間は夜を徹して歌い、踊りあかされるという...
そんなちょっとカルトなウタキでの体験。
☆
ウタキへ入ろうと鳥居をくぐった瞬間に、木々がざわめくように音を立てて揺れた。
風が吹いたのである。しかも、風は上空10メートル前後の高さを木々の枝を渡るように吹いているだけで、地上の私には風が感じられない。(これは神社に行くとよく出会う現象である)
次に、種取祭の舞台となる広場に立つと、頭の中がうねる感じで時間感覚と空間の感覚が狂うのをはっきりと感じる。
まるで、太古からの祭りの想念や熱気が濃縮されて地面の記憶として刻みこまれていて、
今では、地面自体が蓄積された記憶をエンドレスでリピート再生しているかのように思えた。
広場を出て奥にはいると左側に灯篭がみえた。
その道を進むとそこにはもう一つのウタキがある。ちょうど神社の奥の院といったたたずまいである。
多分、このウタキが本来のウガンジョ(拝み所)であり、種取祭の広場を兼ねるウタキはその神楽殿的なものだったのだろう。
鳥居をくぐってなかに入ると、コンクリート製の拝殿があり、
拝殿の向こうについたて状の壁があって、壁には大人がしゃがんでやっと通れる位に四角く穴があいている。
そして、四角い窓の向こうには大きな木がどっしりと構えている。
まるで意図的に何者かから隠されるようにひっそりとした場所で、
しかし、 島民たちに大切に守られている、そんな印象のある木である。
この木を見た瞬間、
なぜか分からないが、
今回の旅はここに来るためだったのだと確信した。
遠い昔に約束を交わしていたかのように、
心が勝手に了解したのである。
どんな約束だろう?
何を伝えなければならないのだろう?
その答えが知りたくて、しばらくウガンジョで瞑想してみた。
でも、何も浮かんでこなかった。
窓を通して絶えずやさしく涼しい風が流れてくるのを感じるだけだった。
☆
後になって、沖縄にはキジムナーという妖精がいることを知った。
キジムナーは巨樹などに住んでいて、風を起こしたりするらしい。
(by H)