9年振りに天使と出合った(実話)
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今らから9年前の1993年の冬、わたしはすごい体験をした。
なんていったって空から天使が舞い降りてきて授けものを渡されたのだから。
奈良の山奥の神社であんな美しいものに出遭うなんて!
天使はしゃべらなかった。ただ、両手に青い玉を浮遊させるようにもって、現れた。
バサバサという羽音と共にものすごい突風が吹いた。一瞬なにが起きたのかと思った。
長い金髪を空に靡かせて、薄い山吹色のドレスの上に朱に近い鮮やかなオレンジ色のローブを纏っている。巨大な映像?のようだった。
彼は「ミカエル」という響きをもっていた。なぜか、そう思った。
あとで知ったことだが、「ミカエル」というのは日本を守護している天使だという。
つまり、「火の天使」として。
ミカエルはわたしにその青い玉をくれた。くれたといっても彼のその両手のひらから浮遊してわたしの口の中に飛び込んでくる、というイメージが伝わってきたのだ。
ものすごく具体的に、ものすごくリアルに。
ゆっくりと青い玉は輝きを放って近づいてきた。
そして、彼はだんだん映像が薄れていくように何処へと帰っていった。
辺りは静けさが舞い戻った。
あまりに美しかったのでたまたま持っていた水彩色鉛筆で一緒に行っていた友人たちに描いてみせた。みんないい人で誰も疑わなかった。
なにかが起きた、そういう雰囲気はそこにいた9人に共有できたような感もある。
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実はこれには序章があった。
この年の9月のことだった。天使が舞い降りる3ヶ月前のことである。
朝目覚めたら、わたしの右半身が全く動かなくなったのだ。
当時、会社勤めをしていたわたしは途方にくれた。
通常の外科病院から整骨院、脳外科まで出かける。
どこにいってもわたしの身体の異常に対する返答が戻ってこない。
たまたま大学の恩師にばったり出会う。
そこで身体がおかしいこと、を告げた。先生はなんの躊躇もなく、
「井戸君、それは巫病だよ。巫病に違いない。」と応えた。
「沖縄ではね、ノロとかユタとかそういう巫女さんが時折そういう症状を訴える。
病院にいっても治らないよ。」
沖縄出身の先生はあっけなくそういった。
「巫病」というのはよくわからなかったが、なにかわたしの中で妙に納得するものがあった。会社を休んで一週間ほど経った日のことだった。
家に戻ったわたしに妙な電話がかかってくる。
「わたしはテンカイというものだが、怪しいものではない。
あなたにある神から伝言を頼まれて連絡をした。
今すぐ、会社を辞める決心をしなさい。
そうすれば、あなたの動かない身体はすぐに元通りになる。」
知らない人だった。でも、このおかしな「病気」のことはそう多くの人には言っていない。
「神様って誰ですか?」
咄嗟に出た言葉だった。
「それは○○という神でもともとあなたを守護しているものだが、
もうすぐその神が変わる。その前にあなたにはやらなければならないことがある。
それには会社勤めは足枷になる。
安心しなさい。他に仕事が来る。それは10月に・・・。」
今すぐはやめられる状況ではなかった。
「今年中でもいいのですか?」
「それは構わない。わたしは今すぐ辞める決心をしなさい。といったはずだ。
そうすれば身体は動くようになる。」
そうか。そんなことでいいのか。わたしは後先のことを何も考えずにすっきりと「会社を退職」する決心をした。
すると、電話の向こうの主は
「それでいい」と電話を切った。わたしは何もいっていないのに。
そのあと、本当に身体が元通りになった。
テンカイという人からはもうなんの連絡もなかった。
翌日、身体にまた異変が生じた。
それは「動かなくなる」といったマイナスの異変ではなく、「妙に軽くなる」といった異変でなにか背中に翼が生えているような違和感もあった。
そんなおかしなことはない、と鏡をみると、わたしの背中に真っ白な翼が時折見える。
実感もあった。翼は足首まであって、妙な感じだった。
物質的な「翼」ではない。
しかし、子供や女性など時折妙な顔をしてわたしを振り返ってみる人がいた。
地下鉄構内を歩いているときが一番多かった。
「あの人、おかしいんじゃないの?」という顔をして振り返る。
「見える人」もいるのだと、思った瞬間、やはりこの「翼」には意味があると思えた。
この「翼」はやがて消えた。
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「会社を辞める決心をした」わたしの頬にまもなく妙なマークのようなものが現れた。
マークといってもボタンのあとのようなもので丸く薄い皮を剥がれたように円が描かれ、その真ん中に穴が3つ空いている。
そのマークが左頬に描かれたとき、たまたま父親と妹がいた。
朝目覚めたわたしの顔をみて、
「おまえの顔のそのボタンのあとのようなものはなんだ?」といわれ、
鏡をみると、そのような「あと」があった。
あまりにはっきりとしている。で、皮膚が剥がされているから痛い。
顔を洗うときが一番痛かった。
この「あと」も一週間ほどできれいに消えた。
そして、その後無性に日本中の神社参りをしたくなった。
こんなことは今までなかった。
最初に出掛けたのは奈良の神社だった。
ここは中学生くらいからずっと夢にみていた神社なのに、その存在が具体的にあると知ったのが大学時代。実際にいったのがこの会社を辞めることを決心した前の年だった。
神社は子供のころから好きだった。というより「祈る」という行為に美しいものを感じていた。だから、カソリックの教会にもよくいった。
北海道で生まれ育ったわたしにとって、地元の神社はいわゆる「聖域」とイコールといった感じに乏しく、どちらかというとなにもない山の麓で水が湧いているような場所にそういうものを感じた。そこはいずれもアイヌの人たちの「聖域」でもあったようだ。
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奈良の神社に訪れて3度目のときに冒頭の天使が舞い降りてきた。
「天使」と出会って一週間もしない頃、また奇妙なことが起きた。
それまで知らなかった人が逢った瞬間にわたしにあるモノをくれる、というのだ。
その人はその持ち主を探していたという。
そのモノは本来の持ち主が持っていないと色々災いが起こるもので、その人はある中国人から預かったといった。中国人はその人に「あなたはきっとこのモノの持ち主に出遭う」から、と渡されたという。
翌日、その人がもってきたのは「青い玉」だった。
わたしは驚いた。あの天使に貰った玉にそっくりな「青い玉」。
それは「ラピスラズリ」という石だったのだが、これほどまでに透明感のあるものをみたのは初めてだった。
その玉に触れたとき「安心感」のようなものを得た。
なついてくれている、ような感じがした、と同時にわたしはこの玉のことを知っている、と思った。それはどんどんその玉から情報が流れ出るように様々な記憶を甦らせた。
その玉は「エジプト」のものだった。そしてわたしのものだった。
シリアで失くした「玉」だと認識した。
幼い頃から「シリア」という国にシンパシーを感じていた意味も思い出した。
そして、その人はもうひとつわたしに驚きをくれた。
それはあの「あと」と同じマークが描かれた絵だった。
絵を描いたのはチベットを放浪し多くの作品を残した画家、ニコライ・ローリッヒという
人だった。彼の描く「聖母」がこのマークの描かれた旗のようなものをもっている。
その画家のことはまだ詳しく知らない。
ただ、彼の描いた絵には多くのシンクロにシティを感じる。
よく夢にみるシーンを描いている。
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また、天使が現れた。
今度は光の中から現れた。フローライトのような光を放つ優しい眼差しの天使だった。
(by R)
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