【2003年 弥生月(三月)】 満月

『天馬の夢』

その日のカレンダーには「今日は皇帝の日」と書いてあった




3月14日、不思議な夢を観ました・・

三原くんという中学生の頃同級生だった男の家に遊びに行く。

誰かに「三原くんの家はどのあたり?」と尋ねると、

「蔀が並んでいる鬱蒼としたところ」だからすぐにわかるよと告げられる。

三原くんとはそう仲良かったはずもなく・・・。

その家はとても大きなお屋敷で玄関から彼の部屋まで20分は歩いてかかる。

本当に鬱蒼としていて、屋敷全体が深緑色で覆われている。

あまりに広い家の中を歩くには外の景色を楽しみながらでなければ気が滅入る。

鳥の声に耳をそばだてながら、深く深く入っていく。

途中、廊下には本が沢山積んであって、渡り廊下がミシミシ音を立てて軋んだ。

相当古い家屋である。

どうやら、三原くんの部屋に着いたようである。

部屋には大勢の友人たちがいる。

友人たちはギターを抱えて歌を歌っている。楽しそうだ。

わたしは一体いくつなんだろう?

その日わたしは家を出る前に暦で「今日は帝王の日」というのを見る。

そこには天馬のイラストがかかれている。

なぜ、こんなことを今思い出すのだろう・・・?

気がつくとわたしは天馬を空に見ていた。

目線が空の雲の間にあったから、きっと自分自身、空を飛ぶなにかに乗っているのだろう。

その乗り物は透明でやけにぐにゅぐにゅしたゴムのような素材で出来ている。

縁日で売っているプラスチック製のストローで作る風船のようにしなやかで瑞々しい。

(そういえば、この乗り物は度々夢に現れた。海の中も空の上も、宇宙も自在に飛べる、中々の代物だ。)

わたしはその乗り物から外を眺めていた。そこに天馬が飛んでいた

白い色をしている。木彫り?のようだった。動きがぎこちない。

時間がたゆたうように経過していく。

また天馬が飛んでいる。白い天馬が2頭と赤い天馬が3頭である。

さっきのと同じだろうか?

あまりに嬉しくて家族に告げる。暦のこととともに。

いつのまにか家族もその乗り物に乗っていた。

他の人には天馬が見えない、らしい。

「またこの子はおかしなことを言って」と言われる。

また、なのだ。いつも「おかしなことを言う子」と言われてきた・・・から。

それでもとてもリアルなので実際にいるものとしか思えない。

興奮が冷めない。遠くに浮かぶその天馬を眺めている。

すると、そこにまるでトランプのキングとクイーンのような二人が白い別な天馬に乗って現れる。丁度、足元の方から現れた。

我々の乗った飛行船のすぐ傍に来て浮いたり沈んだり、空中乗馬を楽しんでいる。

少しお茶目ないでたちで手を振ると嬉しそうに振り替えしてくれた。

王様はいたって愛想がいい。

昔絵本の中で見たアラビアンナイトの王様のようないでたちである。

お后様は微笑んで横座りしている。

透明な絹のショールが風になびいていて美しい。頭は高く結ってあるようだ。・・・

ああ、お后様は・・・そう、観音様に似ているのだ。

顔はよく見えない・・・。

★   ★   ★

夢のことを知人に話すと、

「その夢はタントラを顕している」と知人は言った。

タントラとは「始まり」のことらしい。

この先、なにが始まろうとしているのか?

象徴はなにも顕していないようにも感じるし、なにかを顕しているようにも感じた。

ただ、「家族」という最小単位がなんらかの「意味」をもち、そこから自分が「意志」をもつことを

許されたことには他ならない。

王様は男性原理。お后様は女性原理。

陽と陰の世界にあって、女性はベールに包まれていることがより「意味」をもつのだろう。

始まりの前には明らかに「なにか」が終わるはずである。

一体、「終わる」のはなんだろう?

アラビアンナイトの王様とお后様は一体なんの象徴だったのだろう?

イラクの戦争との関わりなんだろうか?

ただ、不気味なのは最初に飛んでいた天馬は明らかに傀儡だった・・・

誰に操られていたのだろう?

三原くん、という象徴は恐らく「広島の三原」のことであり、

その頃(3月ごろ)、「大三島」へ行きたい欲求が高まっていた。

三原から行くことはあとから知ったことだったが、深層意識はすでにそこに行っていたのかもしれない。

で、あれば大三島への道はなんらかの長い蔀があって、蔀は「風」をさえぎるものだから、

行くときにはすごくスムーズに行けるのだろう。恐らく。

そして、行き先には大勢の友人たちがいる。

歌を歌っている、という状況はどちらにしても楽しい、ことに繋がるのだろう。

そういう予感を秘めているのだ、たぶん

(by R

 

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