ひょんな行きがかりから大峯山に登ることになった
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■ひょんな行きがかりから大峯山に登ることになった。
大峯山とは、奈良・和歌山・三重の一帯にまたがる山岳信仰の発祥の地、大峯山系の信仰的中心に位置する霊山である。日本のユニークな信仰形態である修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が蔵王権現(ざおうごんげん)を勧請した、まさに修験誕生の場所、あるいは、現在でもいまだ女人禁制が守られている珍しい場所、山上ヶ岳といえば分りやすいだろうか?
地元の人たち(天川村洞川の人たち。彼ら自身がまさに修験者の血を引く人たちなのだが...)から畏敬と親しみの念をもって単に「お山」と呼ばれているその山は、密教系の仏教や精神的な世界に興味をひかれてしまうある種の人たちには、たぶん特別な存在感と響きをもって記憶されていると思う。
■かくゆう私も、人並みに、大峯山にはある種の畏敬と憧れにも近い感覚をもっていた。
だから、知人から「Hさんも、たまには体動かした方がいいんじゃないの?」とまるで週末のゴルフにでも誘われるように、いとも簡単に大峯山登山を持ちかけられたときには正直、「こんな簡単に登っていいものなのだろうか?」と身構えてしまった。「っていうか、これは何かの罠に違いない。」
私にとって、大峯山山上ヶ岳とは、昔紅白が終わったあとの「ゆく年くる年」で中継されていた(この時点ですでに認識上のバイアスがかかっていると思われるが)、もの凄い山奥の山頂にあり、雪深く、辿り着くのに最低2日はかかるような、簡単には辿り着けない、辿り着いてはいけないホーリープレースだったのである。そこを目指すのであれば、それなりの“納得感ある必然性”アンド儀式めいた手続きが必要なはずであった。しかし、その時の私には、心の余裕も覚悟も、差し迫った必然性すら(それが一番問題なのだが)皆無であったのだ。
仕事も立て込んでいるし、体力も無いし、あわよくばこの誘いが無かったことにならないか、と思い知人に電話をかけたが、受話器に出た彼は開口一番「参加の申し込みしときました。前日のホテルも取りましたから安心してください。あと、当日は適当に動きやすい格好であれば大丈夫です。...ああそうだ、白いパンツを持って来てください。禊(みそぎ)するとき必要だから、汚れちゃってると恥ずかしいからね...」と一通りの要点を伝えた後、電話を切った。
白いパンツをだけを携えて霊山に臨む図は、展開イメージとして、確かに悪くないし、魅力的にすら思えたが、やはりそれは筋違いのような気がした。なので私はこう考えることにした。
「きっと、これから登ろうとする山は“本当の大峯山”ではないに違いない。」
丁度ベンツのラインナップのように、同じ大峯山といっても「いろいろなグレード」があるのだ。今回登るのは私の知っている山上ヶ岳ではなく、大峯山の槍岳とか矛岳とかという、主に一般観光客を満足させるための“なんちゃって”なのだろう。この考えは、世の中の実体を反映しておりかなりリーズナブルに思えた。全ての人が、“究極のグレード”や“最奥”に接する必要はないのだ。
■しかし、結論からいえば、それは正真正銘の大峯山山上ヶ岳だった。
しかも、いとも簡単に、とは決して言わないが、苦もなく、むしろとっても楽しい気分で蔵王権現の祭られる山頂に到達してしまった。この事実は私にとって少なからぬ驚きであった。
同時に幾つかの発見もあった。
何よりも大きかったのは、修験道が、この小さな、(基本的に)平和で穏やかな国で生まれた、圧倒的にオリジナルな信仰であること、そしてその愛しい信仰世界が、今も確実に生き続けていることを(ちょっとだけでも)実感できたこと。さらに、大峯登山が一種の、非常に優れた“修行エンターテイメント”ともいえる体験を提供してくれる完成度の高い優れた体系を持っていることを実感できたことだった。
(by H)
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