【2003年 文月(七月)】 満月

『黄泉津醜女の夏』

夏のお祭りで引いた気がかりな神託




★ ★ ★

満月の日は犯罪が増えるという。よく知られたことだ。

人は月に引寄せられ、自らを解放するのかもしれない。

そういえばあの悪夢の日も満月だった。

去年は24日が満月だったから、丁度一年が経とうとしている。

★ ★ ★

今年、久しぶりに天河神社の大祭に参加した。

今回は結構大人数で行くことになった。

といっても知合いは総勢14名の中の7名。

半分は友達の友達で気がついたらそんな数になっていた。

王子というところで待合せて車に乗り合わせたのは女性だけで7名。

あとの7名は現地で出会った。

関西ではあったが、王子という地名は気になった。

神々が関東を平定した際に、王子から始めて東京10社参りをしたという。

まあ、我々は神々ではないから、そういう「任務」すらないのであるが・・・。

天川へ着いたのは大祭当日、17日の昼頃。

神事が終わりかけている頃で「まあ、よかった」という気がしていた。

ちょうど入れ違いに帰りかけていた古くからの知合いに会う。

彼女は最近身近な人を亡くしたばかりで会うや否や、涙腺が緩んだ。

驚いたことに彼女も一台の車に7人で来たという。

なにかわからないが、バトンタッチをした気分になった。

それから2泊の滞在。

初めて天川へ入った人たちが殆どだったため、賑やかな天川と静かな天川の両方を

体験してもらいたかったという老婆心もあった。

★ ★ ★

本来、ここは静かに自らを振り返るような場所である、と思う。

或いは「自覚」するところ、というようにも感じている。

それは万人にいえることかどうかは別として自分の中では

いつもそういう位置づけにおいている。

彼此、天川詣でが始まって、10年以上になる。

200回は訪れただろうか。

最初の1,2年は一週間に2度来るときもあったから、多くの友人たちは

そのまま居つけばいいのに、と言った。でも、そういう場所ではない。

__彼の場所は

「いつもいる場所ではなく、いつもそこにあってくれる場所」

なのだ。

★ ★ ★

帰る間際おみくじを引いた。

その御籤を見てぎょっとした。

「黄泉津醜女被追マシ来リ」

黄泉の国で朽ち果てたイザナミに追われる、というものである。

凶が多い御籤であることは千万承知していたが、

尤も恐れていた神託がそこにあった。

これは去年の悪夢が再び蘇る、ということを告げているのだろうか?

あんな悪夢がそうそう来られては堪らない。

去年、7月24日の満月に札幌のホテルでみたテレビのニュースは

殺人事件だらけだった。そして女性の陰の部分が色濃く顕れていた。

症状が始めに現れたのは「母親が3女を殺害し、次女が冷蔵庫を空けたら首が出てきた」

というような内容のショッキングな報道を見たときだった。

いきなり苦しくなった。

それ以前はそれとなく苦しくなることはあってもすぐに回復していた。

しかし、その時を境にした3ヶ月は殆ど回復しなかった。

飛行機に乗って帰るのもやっとという状態。

一時、回復したかに思えた瞬間は御坂にある果樹園に無農薬の桃を取りに行ったときだった。

こんな神話のようなことがあるのかと思いながら、

腐りかけた桃を投げ、瑞々しい桃を口に何個も頬張った。

それまで食べ物も食べられなかった自分の身体が見る見る回復し、

一緒に行った友人たちと「イザナギが黄泉の国から追いかけてくるイザナミを

桃で追い払っているときの心境になってきた」と語っていた。

奇しくも「御坂=黄泉つ平坂」であったことが偶然の恐ろしさをも思い知らせた。

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次の満月は8月12日。

それとも次の新月に来るのだろうか?

新月は誕生日である。

あの夏の恐怖が二度と戻らないようにただただ祈るばかりである。

満月は気が狂う。

脳の中の何かが引寄せられるのかもしれない。

次の新月には違う影響が出るのだろうか?

どちらにしても、「賽の神」に祈るばかりである。

ここからこちらはあなた方の領域ではない、と。


(by R)

 

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