第五話
「狐の学校〜1月14日の夢〜」
(其の二)
(1)
小島は21年前の「神隠し」のときすでにこの地にいた。学校が出来る以前の話である。
かつて、この地がまだ「稲荷山」と呼ばれていた頃より小島はここにいた。なぜなら、ここが小島の出生に関わる場所だからである。小島は70数年前に「稲荷山神社」の境内に捨てられた子供で年齢もよくわかっていない。赤ん坊ではなかった。
「稲荷山」は東京の小山にも拘らず、いい水が昏々と湧き出でていた。地元の農家は大層重宝がった。そして、毎年新嘗祭の時期になると地元は勿論その恩恵を授かった人々で賑わったものだ。
21年前の事件はこの「稲荷山」が削られ、学校になるという計画が立てられた時期のことだった。神隠しにあったのは学校創立者である理事長の孫娘だった。
*
大原きり子という女の子が「神隠し」にあった。当時、稲荷山の建設を前に理事長の大原氏とその地を下見に来たときのこと、丁度神社では最後の「新嘗祭」が執り行われていた。
大原氏がその地を訪れると地元の建設反対者たちが毎日のように声高に叫んだ。
「神様の居場所に立ち入ると罰が当たるぞ!建設反対!!」と。
大原氏にその声は全く届かないようだった。
小島も反対側にいた。齢50を超えていた。自分の親のようなこの神社が壊されるのを黙ってみてはいられない。しかし、無情にもその翌日社殿が壊された。涙が溢れた。と同時にどんな姿になろうともこの地を守る決意をする。
そのときだった。
「きり子がいない!きり子がいないんだ・・・。」という哀れな大原氏の声が聞こえた。
建設反対者はみな「神隠しだ」といった。「罰があたった」といった。
噂はどんどん拡がる。大原きり子はどこにもいなかった。「存在」も危ぶまれた。
それは「大原きり子」本人を知るものが段々消えていく、という妙なことが起こり始めた。
当時同じ小学校に通っていた友人たちも「そんな子はいない」といい、どうやら、
人々の記憶の中に存在しないものになっていく、ということが起きた。
きり子の両親である、大原氏の息子夫婦もこの時期事故で亡くなった。
大原氏のみが言われえぬ「孤独」という苦痛を背負う。
大原氏にはたった一人の身内となったきり子の存在だけが「生き甲斐」となった。
「祟り」は信用してはいなかった。ただ、人の想念というものだけはビジネスを始めたときから痛いほど感じていた。
時に人の誹りは「人を殺めることもある」ということを身をもって痛感していた。
小島は痛々しい大原氏の傍にいき、
「きり子さんはきっと生きています。ただそう祈りましょう。
そして、約束してほしいのです。たとえ、学校がこの地に建っても、この地の神は守り続けると。」
「お前は誰だ。なぜ、そんなことがいえる!」
大原氏のいい加減なことをいわんでくれという姿に耐えかねて、
「本当に守り続けてください。そうすればきり子さんは戻ります。」
なにか判らない確信のようなものがあった。
「よく判らんが、おまえのいうようにしよう。
きり子が仮に殺されていたとしても私の罪なのだろう・・・。
おまえはそういいたいのだろう・・・」
大原氏とて、人の子である。ビジネスや金のために捨ててきた人情を再度取り戻す機会が訪れようとしていることを悟った。
そして、和光学園の学校裏の鳥居、校門の鳥居、両側の狐の狛犬はこのときの約束で残された。この「稲荷山」も崩されずにそのままの地に学校は建設された。
*
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